2011.02 «  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  » 2011.04

変化してゆく日々

  • 2011/03/26(土) 21:35:44

昨日は夫婦二人だけで不動産屋周りをして来ました。
当初の予定では家族全員で行く予定でしたが、
下の娘は体調が悪く、当の本人の上の娘は
昼夜逆転病にかかっているらしく昼近くになって
起きて来たので仕方なく二人で出かけて来ました。

ネットで見つけたお店は条件に合う所が無く、
もう埋まっちゃいますよなんて煽られてお店を
出たのですが、この春からお世話になる予備校の
前にあった不動産屋さんでかなり条件が良く
なおかつお家賃も安い物件を見つける事が出来ました。

さすがにおお神様とは言いませんでしたけどね♪

明日本人を連れて出向く事になっています。
もちろん予備校にも用事があるので、
夕方近くに現地で待ち合わせするようになるのでしょう。

順調に事が進めば来週頃お引越しです。
細部についてはまだ決めていませんが、
荷物が少ないので自分でレンタカーを借りて
運ぶようになるのでしょう。

週を追う毎に変化し続けています。
いよいよ動き出した実感がありますね。
そろそろ自分の心配もしないといけないのでしょう。

将来的にどうするのか。どうなりたいのか。
青臭い話かも知れませんが家族を幸せにしたいのを
人生の目的としてはいけないのでしょうか?
今まであまり思いもしなかったのですが、
そんな生き方も有るかも知れないなと感じます。

自分で書くのも変ですが次のステージっぽいですね。

この間までおしめをしていたと思ったら

  • 2011/03/23(水) 00:56:29

久しぶりにある仲間に再会する事が出来ました。

某施設の黎明期にスタッフをしていた方で、
自分が彼のフェローシップのミーティングを
初めて訪ねた時のセクレタリーでもありました。

その時が地元のミーティングを歩き出す最初であり、
約二年後にその時お伺いした公的施設が山梨の最初の
GA会場になります。現在も甲府のメイン会場になっています。

最初つながった頃は「仲間」って言葉を
単純に信用して良いのか悪いのか疑わしくて
一杯でした。それでも同じ問題の仲間だと
折り合いを付ける事が出来たんですが依存症って
大きなくくりだと違和感は中々取れませんでした。

AAでもNAでも仲間から仲間だねって言われるのですが
本当に仲間?って感じは拭い去る事は出来ませんでした。
いつ頃から仲間と一緒に居たいと思うようになったのかは
あまり記憶には無いのですが、これもプログラム同様
別居以前、別居中、それ以後と言う段階で変化しているように思えます。

寂しいときほど何かが変化する。成長もするのでしょう。
自分の通った道を誰かに話す事が有るとすれば、
甲府の北新で過ごした一年の事を欠く事は出来ないでしょう。

さてこの春、私の長女の桜は咲きませんでした。
味噌も糞も一緒的な考えだと進学する先も有ったのですが、
妥協せずあと一年挑戦させて欲しいとお願いされ、
夫婦で考えた結果浪人する事を受け入れる事としました。

来年の今頃は笑っているか泣いているかはわかりません。
もしかして別の道を選んでいるのかも知れません。
ただ一つ言えるとすれば現在の彼女には望んでいたものは、
時期が早すぎるか望みが高すぎたのかいずれかだと思います。

簡単に手に入るものは大事にしないでしょう。

昨日簡単に私達夫婦と彼女の間での話し合いで彼女に伝えたい事は
伝えました。この経験が将来、彼女にとって有意義な物になる事を
祈るばかりです。彼女にも仲間ができたらなぁと。世間一般で
呼ばれるような仲間ができたら良いなって思うのです。

送り出す我々には段々と出来る事は少なくなってゆくのでしょう。
彼女のハイヤーパワーを信じてしばらくは遠くから見守る事としましょう。

出来る事をしましょう。節電とか募金とか

  • 2011/03/13(日) 23:10:06

一昨日、配達から会社に帰る途中で長い揺れを感じました。
ラジオをつけると東北の惨状が報じられ続けました。

その時はこれほど大規模な被害と犠牲者が出るなんて
想像も付きませんでした。いつも集荷に行く工場に行くと
出荷を中止するらしく、お世話になっている係長氏が私服で
帰路に向かう所にお会いしました。

自宅周辺が震度5を観測したのを聞いて電話をしても
一向につながる気配がありません。携帯も家電も同じです。
横浜でもビルが倒れたななんて聞いて電話をしても同じです。

全然連絡はとれません。落ち着かないばかりです。

その後長女がメールをくれました。無事を伝える簡単なメールでした。
精神的に落ち着きを取り戻すと東北の仲間の安否が気になり始めました。

早めに帰って帰宅するとおいらの住む町は真っ暗です。
自動販売機の灯りも街灯も消えているので、
20年近く暮らしているのにはじめて見る町のようです。

懐中電灯を頼りに簡単な夕食を取り、
メールを送って暗闇の中で過ごしている内に
停電は復旧しました。テレビのニュースで見ると
想像していた以上に悲惨な光景が拡がっていました。

被災した方々が一日も早く落ち着いて暮らす事が出来る様祈る事しか
出来ないのかなと考えていたら義捐金の案内がぼちぼちと報道されて
来ました。ネット上でも検索にヒットしました。

【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|ホームページ

【義援金・募金・寄付できるサイトまとめ】東日本大地震 - NAVER まとめ

【更新】東北地方太平洋沖地震の義捐金等受付先まとめ : ライフハッカー[日本版]

出来る事をしましょう。と思います。個人の意見ですが。

ところで宮城在住のGAの仲間から無事を伝えるメールが
今日届きました。ご本人の承諾を得ておりませんが
改めてここでもお礼を伝えたいです。

生きていてくれてありがとう。本当にありがとう。

夫婦喧嘩していて思ったこと

  • 2011/03/04(金) 11:03:00

今年は春を通り越して早く夏になって欲しいです。
のど元に何か引っかかっている毎日をガツーンと突き抜けるには、
桜の舞い散る風景よりは熱中症でフラフラしているような
酷暑のほうが良いかも知れません。ポカリも美味しい事ですしね。

先日から娘の受験、およびACな言動でかなりうちのみなさんは
お疲れのご様子です。もちろんおいらも疲れております♪
みんな機能不全な中で生活している為なのかいただきますも
ごちそうさまも言いません。常識もあまりあてにはなっていません。

みなさん狂っています。犬も狂ってまして爪を怪我しちゃいました。
家庭は混戦模様ですが、仕事のほうは何となく調子が良くなってきました。
今月から徐々にですが職務の範囲が広がって行きそうです。
ぶっちゃけた話ですと残業が増える見通しです。
あんまりお金が足りないので本気でアルバイトを探しちゃいました。

落ちましたけど(笑)

いつの間にやら時代は流れておりまして、おいらや奥さんの若い頃には
今の状況ほどは進学する人が多くなかったように思います。
うちの夫婦が二人ともあまり学歴には縁が無かったのを差し引いても
周りに4大に進む女の子は見当たらなかったように思います。

いつの間にか変わっていましたってのが本音でして、
どうせ嫁に行っちまうのに無駄じゃね?とまで言いたくもなります。
少し折れてきたのかやる気が無さそうな言動を見る度に、
奥さんがおいらを捕まえてグチグチと言う素にもなっています。

先日は離婚寸前(爆)まぁそれならそれでも良いかなって
心境にも時々なります。昨日のニュースで子供と妻を殺害して
無理心中を図った人の痛ましい話が流れていたそうですが、
奥さんがヒロ吉みたいなタイプがするんだよねって
下の娘に朝食時に話していました。おいおい何で俺だよって....orz

この野郎、馬鹿野郎って思っていても一方的に相手が
悪い事は無い。恐らく先に足を踏ん付けているのだろうってのが
プログラム使いの基本的な考え方なんですが、
色々と思いつく点がありますね。罵声を浴びつつも。

そうか、おいらが足りないんだなと。
もっと頼りになる人になって欲しいんだろうなって。
これも間接的な埋め合わせかぁ。そうなんだろうな、多分。

将来的に爺さんと婆さんになっても夫婦喧嘩してそうだけどさ。
改めて思うのは彼女は気が長い女だ、本当に立派な人だな。