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おお、かあちゃん嵐は去ったなぁじゃねーし。

  • 2010/10/31(日) 15:59:26

>一家の長である者は、一家に起こったことの責任は
>主に自分にあることを忘れてはならない   BB p185

時々ですが家の中が過敏な空気に包まれます。
以前は毎日非常な緊張感があったのを考えれば
まだ改善されたと言えば改善されています。

言い争う声やあざける声などおうちの中で聞きたくないや。ねぇ。

自分は家内の言葉に反応して、軽く言い争いになる時があります。
以前よりも頻度は増えまして、仲の悪そうな夫婦になっているかもです。
なんかさぁ、ちょっと前はそんなにむかつかなかったんだけど、
この頃むかつくんだよな。真面目に。ああでもないこうでもないって
口うるさいどころか傷害罪が適用されるぐらいにグチグチ言うんだよね。

でさ。小爆発だの大爆発だの二人でしてすぐにケロっとしてんだよな。
これで済めば人騒がせなだけだね。夫婦そろって。
この間ふと気が付いた事があって良くも悪くもナンバーワンなんだよな。
奥さんってのは。だから前は関心が今ほどは無くて腹が立たなかったのが、
今は参加したい若しくは彼女や家族にとって価値有る一員で居たいのかな。

それで些細なことでも気に障る時もあるのかなぁ。
一見すると逆説みたいだけどそれだけみんな文句も言えるようになったし
文句を言われて聞き流すことも言い返すこともするようになったし。

結構生臭い話なんだけど家族の中でどうあるか。これが今の課題かな。

畳の部屋

  • 2010/10/29(金) 22:30:16

奇数週に開く会場のチェアマンを先日から努めさせて頂いています。
ミーティングの開始時間は夜の七時から始まるのが多いのですが、
そこの会場は夜の八時半から開いています。

どうゆう団体でぇと施設の職員さんから不審に思われるほど
その時間帯からの利用は他に例を見ないそうです。
まぁ一理はあるよなぁ。実際鍵を借りるのは八時過ぎだし。

今月は和室をお借りしてミーティングをしていたのですが、
ほとんど前半は仲間とごろごろしながら話しをしています。
仕事帰りなので話しながらウトウトしそうにもなります。

その部屋は他の依存症のグループも使用していまして、
思い返せばゴロゴロしてミーティングが始まる直前に
先行く仲間に起こされたときもあります。

このミーティングで寝てしまうと言う現象は多々有りまして、
一番の最悪は自分が司会者で寝てしまった時も有ります。
あれは土曜日の午前中のミーティングだったなぁ(笑)

甲府の発足時にも和室をお借りしていたのですが、
その頃も仲間が来てくれるまでゴロゴロしていました。
押入れの布団を出して本格的に寝ちゃうのが夢だったんですが、
なかなかそこまでは行きませんでした。

ちょうど別居していた頃で会場の準備を済ましてから
近くのコンビニでお弁当を買って夕飯にしていたのも
今となれば良い思い出です。座布団を三枚しいて、
マンガを読んでいると仲間がちらほらと来て時間になって
裏の小学校から少年野球の声が聞こえてきたりして。

しかし八時半はちょっと遅すぎたかな。
仕事が終わるのが八時頃だから仕方ないかなぁ。

丸みを帯びて厚みを増して

  • 2010/10/26(火) 23:53:44

先週の事でした。いつもは険しい口調、もしくは冷淡な口調の
上司が優しい声で電話をくれました。それも今話しても大丈夫か
確かめていました。こんな事言えたのねって言い過ぎかぁ。

とにかく不気味なほど丁重に切り出された話題は
11月1日付けでの人事についてでした。ハラホラハラヒレ。
これをいつもの調子で話せるほど人気の無い人じゃ無いのね。
そう言えば前の転勤の時もわざわざ訪ねて来てくれたし、
悪い人では決して無いんだよな。個人的には嫌いじゃないし。

残念な位口調と言葉の選び方は悪い人なんですが、
組織として憎まれ役を必死に努めている上司でした。
来月からの任地は午後仕事をしている事業所。
仕事の内容としては極端な変化はありません。

ただ去るに辺り非常に寂しさを感じるのは
それだけ色々な出来事に恵まれたからなんでしょう。
何年ぶりの現場復帰。ほぼ未経験に近い2トン車の運転。
やれば出来るなぁと思う日とやっぱり無理なのかなぁと、
凹む日を繰り返しているうちにすぐには出来なくても
色々と努力すれば出来るものなのだなと学ぶことが出来ました。

よく原点を忘れずと言いますが、この地が原点として
私の中で有り続けてほしいと願うばかりです。
気が付けば厚みを増した手のひら。力を入れなくても
盛り上がる力こぶ。丸みを増した肩。
44才にして初めての体験の連続でしたが、
ここで一緒に働いた仲間に感謝するばかりです。

短い間でしたが。たった4ヶ月の在籍でしたが。

おいら達の責任は?

  • 2010/10/25(月) 23:49:27

23日から24日までGAの21周年の為、関東へ行ってきました。

23日の午前中はホームのミーティングが有ったのですが、
空で出かけるのに抵抗があって日中はアルバイトに行ってました。

多分貧乏性なんでしょうか。何となく交通費に抵抗を感じるように
なって来ました。そうだよなぁ、一日300円位で暮らせるもんなぁ。

八王子で業者さんと合流して解散が花小金井駅の辺りでして、
いつもだと東京で泊まるのは立川を軸にするのですが、
なんとなく西武に乗って新宿まで出てきました。

あてにしていた簡易宿泊所が一杯で泊まれなくて、
かといって立川のいつものカプセルまで戻るのは
往復で900円かかるのを考えると、新宿近辺で泊まる所を
探さないと行けないなぁと。でもあまり知らないんだよね。
正直新宿って場所は。もう少し城東よりに行くと
昔の記憶が有るんだけどね。泪橋までは行かない辺りね。

そんなこんなで、新大久保から代々木までウロウロした結果、
代々木の駅前で親切なネットカフェを見つけまして、
その日の宿といたしました。10時間で1980円。
7時間で1480円。ケチって7時間を選択して結局追加料金が
発生したのはまぁ愛嬌と言うか計画性が無いと言うか(笑)

23日の前夜祭では一度お会いしたかった九州の大御所の方と
お会いでき、ついでにGAの缶バッチまで頂いちゃって。
凄いお話を山ほどお聞きする事が出来ました。感謝感謝です。

色々な仲間に会えましたね。本当に感謝です。
この共同体に本当に感謝です。今頂いている時間は数多くの仲間に
支えられている時間です。命と言ったら少し大げさかもしれませんが。

さて本題に移ります。私個人の意見ですので違っていると
思う人は済みません。聞き流してください。

楽になったか今も苦しいか別にしてさぁ。
GAの21周年に来た仲間ってのは助かった部類だと思うんだよね。
でも以前にもここで書いたと思うけどこの自助グループの存在も
知らないまま、死んじゃったギャンブル依存症者って結構居るんだよね。
大体の死因は自殺だと思うさ。おいら達の病気って体にはあまり来ないから。

つながる前を思い返してみると自殺未遂の一回や二回はしている
仲間って結構居るんじゃね。おいらもしているし、身近な仲間でも居るし。
分かれ目って成功したか失敗したか。生きるのに針が振れたか、
死んじゃうのに針が振れたかその違いだけ。うつ状態に陥って
死を選ぼうとしても死に方も上手く行かなくて生き方も分らなくて、
もっと正確に書くとギャンブル無しでこれからどうやって生きて行けば
良いのか不安で怖くて仕方なかったのがおいらの三年ちょっと前の
姿だったんだよなぁ。今どうであるかの前にそれだけははっきりとね。

でもおいらは回復と言うか生き方を手に入れることが出来た。
それには仲間の力とミーティングの力と12ステップが必要だった。
そうしたら欲しかった平凡な暮らしを手に入れる事が出来た。
底を付いた頃あれだけ焦がれた平凡な暮らしをする事が
出来るようになった。さてこれだけ多くのものを受け取っていて、
それを誰かに渡しているのかと言うとあまり自信は無いです。
これだけ多くのものが手に入るGAグループを伝える事も
あまりしていない様に思います。

時々自分でも分らないほど怒りの感情を持つ時があります。

それは意志の問題とか借金の問題とかにすり替えて、
病気である事を認めない世間の風潮に対してだったり、
何も出来ない自分自身の不甲斐無さに対してだったりします。

来年の周年記念までどのように思考が変わるか分りません。
自分で判らない部分が沢山あるのは確かです。

ただ忘れちゃいけないのはこの病気は死ぬ病気である事。
そしてつながる事も知ることも無く死ぬ人が沢山居る事。
多くの悲劇の上に自分たちが成り立って居る事。
解決の方法がある事を示す責任が私達回復者にはある事。

残念ながら死の出口を選んだ仲間。
そしてこのプログラムを知る事無く死んでいった仲間。
苦しみ抜いた家族や周囲の方々のために。

私たちは私たちの責任をどんな方法でも果す必要があるようです。
何が出来るのかはよく分りません。何をすべきかも分りません。
でも与えられた機会は全て行使するようにしましょうね。